『一坪の奇跡』 小ざさ社長 稲垣篤子・著



ひたすらに走り続けた人だけに起こせる奇跡

その奇跡はこの、表紙で微笑む小柄な女性の手によって起こされた。

吉祥寺の駅で降りて、アーケードの下を進む。
懐かしいようなくすぐったい感覚に包まれながら商店街を歩いていくと、
まるでその行列がなければ見過ごしてしまうようなわずかな敷地に
その店は建っていた。




就職して一年目、入社して迎えた初めての夏、
私はこのお店”小ざさ”を訪ねました。
社長からお話を聞いていたこと、パートさんの買ってきてくれた
最中の甘すぎず、舌に馴染むような味に惹かれたのが理由です。

しかし”小ざさ”は最中がメインのお店ではありません。
本当の狙いは一日150本限定の羊羹。
行列に並ばねば買えない、いえ行列に並んでも買えない
大人気の羊羹がここにはあるというのです。

電車に揺られ数時間、東京に着く頃にはもちろん売り切れ、
幻の羊羹には出会えませんでしたが午前10時のその時間でも
お店には羊羹ではなく最中を求める行列が続いていました。

小ざさの最中は”霊芝”という中国に伝わる1000年もつという伝説の
キノコをかたどったもので、丸みを帯びた形が手に丁度良い。
私はその最中にひとつ、ふたつと手を伸ばしながら
手に入らなかった羊羹に思いを馳せたのでした。

紫の一瞬の輝きという言葉が本書には登場します。
毎日毎日繰り返す、単調とも言える同じ羊羹を練るという作業の中で
稲垣社長がいつからか体得するようになったという羊羹の声、というのでしょうか。
昨今の新しいものを次々を求めていく潮流とはまったく違う
ひたすら羊羹に向き合ってきた彼女だけに掴み得る感覚のことをそう表しています。

どんな職人も、いえ職人であればこそこんなお菓子を作りたい、
次はこうしたいとお菓子作りに対する”欲”が出がちです。
しかしそれは種類を増やすことで一つ一つにかける時間や
手間が減ることにもなり、お菓子自体の味を落としかねません。
そんな中でどうして羊羹と最中、その二品だけに絞ることができたのか。
それは本書の中の稲垣社長の壮絶な生い立ちと
常に傍にあった偉大なお父上との関係性に見出すことができます。

雪の降る夜道を自転車を押して歩く彼女にのしかかる
一家16人の生活を背負わねばならないという重圧はどれほどのものだったでしょう。
自分のためだけに生きられる時代に生まれた私たちには決してわからない感覚。
生きていくことに真剣に向き合うその姿勢が
羊羹づくりにも現れています。

職人であるということはどういうことなのか。
もう一度立ち止まって考えるきっかけになるそんな一冊です。


【文責 加部 さや】



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『一坪の奇跡 40年以上行列がとぎれない吉祥寺「小ざさ」味と仕事』
稲垣篤子・著 ダイヤモンド社


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